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2007年2月12日 (月)

冬の御岳山

三連休最後の本日,
奥多摩の御岳山に行ってきた。
 
青梅線・御嶽駅から
バスとケーブルカーを乗り継いで
約半年ぶりにケーブルカー「御岳山」駅に到着。
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ひょっとしたら雪が積もっているかも,と
期待半分,警戒半分だったのだが,
到着してみると
そこそこ暖かかった。
 
快晴のおかげで,
「御岳山」駅の前の広場から,
青梅方面(たぶん)がよく見える。
 
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まずは
武蔵御嶽神社へ。
 
向かう道々,
雪が斜面の日陰に
わずかに残っていた。
しかし,
気温の方は
セーターなしでも
歩いていて汗ばむくらい。
 
途中,
何かの花が咲きかけているのを見つける。
 
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武蔵御嶽神社に行った後,
いつもなら大岳山とかの
登山にチャレンジするところなのだが,
今日は朝寝坊したせいで時間が足らない。

そこで,
神社の階段途中から
15分ほどのところにある
長尾平でちょっと長めに休息することにした。
 
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長尾平は両側が切り立っていて
それぞれ遠くまで見渡せる。

日差しのおかげでぽかぽかと暖かいし,
ちいさな天国という感じ。 
ここが東京都内とは信じられない。 
 
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左は日の出山方面,右は鋸山方面(たぶん)。
本当に長尾平は眺めがいい。 

それにしても, 
「御岳山」駅にたくさんいた親子連れ等の観光客は
なぜか,この辺りにはまったく姿を見せない。
地元の観光マップにも
ちゃんと載っているのに
意外と穴場のようだ。
 
長尾平でずっと寝ていたいくらいだったが, 
そうもいかないので
後ろ髪を引かれる思いで
出発。
 
あとは
周囲を簡単に散策した上で,
帰宅の途へ。
 
帰りももちろんケーブルカーを使用。
 
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本日の購入品。
 
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味のほうは
また後で御報告したいと思う。

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2007年2月11日 (日)

大河ドラマ「風林火山」・第6回 「仕官への道」

武田家の家臣・前島昌勝は,
武田側における
福島越前守との連絡役をつとめていたのだが,
先週,
土壇場で主君・信虎が福島に援軍を出さないことを決定,
梯子をはずされた形になっていた。
 
今週は,
それに追い討ちをかけて,
信虎から前島追討命令が下る。
 
信虎の手先となって
前島の屋敷に夜襲をかけたのは,
武田家唯一の爽やか男・小山田信有@田辺誠一。
「逆らう者は切り捨てい!屋敷を焼き払え!」と
メンズノンノ系の顔立ちで言われると
なかなか怖いものがある。
 
これに対して
前島屋敷に匿われていた
福島越前守@テリー伊藤は,
屋敷奥から登場すると
攻め寄せてくる小山田勢を
あっという間に四,五人も切り捨てるという
働きをするのだが,
なぜか
メンズノンノ小山田の前に来ると
やる気を失って(?)腰が抜けてしまい,
あえなく討たれた。
これでテリー伊藤の出演は終了。
なかなかの怪演ぶりで良かったかも。
 
 
翌日,
小山田勢による前島屋敷夜襲を知った晴信は,
家臣団会議に乗り込んで
前島の助命を信虎に願い出るが,
あえなく撥ね付けられる。
晴信の横を通り過ぎるときに
されげなく晴信の体にぶつかっていく
信虎@仲代達矢。
文字どおり”衝突”というわけね。
 
 
会議後,
小山田信有は
甘利虎泰@竜雷太や板垣信方@千葉真一等の
家臣たちに取り囲まれ,
他の家臣に黙って今川家との和睦を図ったことにつき
詰問されるが,
あっさり切り抜ける。
ゴリさんや”闇の軍団”の半蔵も
メンズノンノにはかなわぬものなのだろうか(何じゃそりゃ)。
 

その頃,
山本勘助@内野聖陽は,
寿桂尼の推挙で
還俗して今川家当主となった今川義元と対面,
仕官を申し出るも拒絶される。
勘助の顔が気に入られなかったらしい。
ただ,
子供が泣いて怖がる顔だというんだけど,
内野勘助は現実には相当な男前なんだよな~。
ドラマ上も,
ミツとか寿桂尼とか女性にもてるし。
ひょっとして
義元は
(母上はあの男に気があるんじゃ・・・)と懸念して
仕官を認めなかったのかも。



さて,
天文5年7月,
京から三条夫人が晴信の下に輿入れする。
 
 
(その頃の功名が辻)
 先週と同じ天文5年なので特に書くことがないです。
 強いて言えば,
 豊臣秀吉はこの年の1月1日生まれとされているので,
 この時点で生後7ヶ月になったということくらい。
 一豊様の誕生まであと9年待ちましょう。
 
 
88年「武田信玄」の時の輿入れシーンでは,
三条夫人(クレジットは「三条の方」)@紺野美沙子は
強烈な白粉のために誰だか分からん状態だったと
記憶しているが,
今回演じる池脇千鶴はお化粧控えめだった。
 
 
 
今川家仕官がかなわなかった勘助の方は,
大叔父の庵原忠胤@石橋蓮司のもとから抜け出し,
北条家の本拠地・相模の小田原に向かい,
そこで上手い具合に
北条の嫡男・氏康との面会を果たすが,
一騒動持ち上がって・・・・
というところで,今週は終了。
 
 
それにしても
もう第6回だというのに,
いつになったら勘助は武田家に仕官できるんだ?
と思っていたら,
なんと勘助の仕官は第12回らしい。
あと5話分も浪人のまま・・・頑張れ,勘助。
 
 

では,最後に
風林火山チェックをどうぞ。

○今週の軍師度→☆
 仕官できないんじゃ,
 軍師も何もあったもんじゃないな。
 でも,寿桂尼からは
 その能力を買ってもらっているようなので,
 ☆1個だけ献上。
 
○今週の献愛度→☆
 今週もミツのことを思って
 復讐を誓う勘助。
 
○今週の信玄度→☆☆☆
 「御館度」から改名しやした。
 で,
 今週は,
 父・信虎と衝突したり,
 京から正室・参上夫人を迎えたりと
 いろいろあったけど,
 勘助とのやり取りはなかったので
 ☆3つ止まり。
 
○今週の好敵度→なし
 好敵手がどうのと言う前に
 まず仕官先を決めないと。
 
 
次週は第7回 「晴信初陣」。

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2007年2月 5日 (月)

大河ドラマ「風林火山」・第5回 「駿河大乱」

今週は花倉の乱(天文5年)の話。
 
「花倉の乱」と言われても,
私などは全くピンと来ないのであるが,
教科書的な説明によると,
駿河国の守護大名・今川氏の当主・今川氏輝が急死した後,
その跡目をめぐって,
氏輝の2人の弟,
梅岳承芳(後の今川義元)と玄広恵探が争った結果生じた
今川氏内部の紛争,
ということらしい。
 
でもって,
氏輝の生母・寿桂尼は梅岳承芳(義元)の生母でもあるので,
当然ながら承芳側の人間で,
これを承芳の養育係である太原雪斎が補佐する一方,
反対陣営の玄広恵探は,
氏輝や承芳の異母兄弟で生母は福島(くしま)氏の出自のため,
福島越前守が味方しているという状態。
あ~ややこしい。
 
(その頃の功名が辻)
 現時点での風林火山の時代背景が
 今ひとつよく分からないので,
 その週の「風林火山」で放映された年代の頃,
 「功名が辻」の登場人物は何をしていたかを調べて
 大体の時代背景を掴もうというミニ・コーナーどす。
 で,
 花倉の乱があった天文5年(1536年)なんですが,
 豊臣秀吉が誕生したのがこの年なんですね~。
 一豊の誕生まであと9年,千代の誕生まであと21年ですから,
 同じ戦国時代とはいえ,
 「功名が辻」より一時代昔という感じです。
 
 
  
ということで,
ようやく本編のレビューに入ると,
冒頭,
庵原忠胤(勘助の大叔父で今川家家臣)が自分の屋敷で
勘助と話をしているところへ
太原雪斎@伊武雅刀が訪問。
遠慮して退出する勘助と太原雪斎は
廊下ですれ違う。
 
太原雪斎は後に今川義元の軍師として活躍する人物だから,
戦国前期の2人の名軍師の顔合わせという演出なわけだ。
 
この後,
庵原忠胤は勘助を連れて寿桂尼を訪問,
勘助は,
福島越前守の謀反の動きと
それに自身の兄・山本定久がかんでいることを
寿桂尼に報告,
今回の戦陣の一端に加えてもらえることになる。
 
これを受けてか,
寿桂尼は駕籠で梅岳承芳(義元)のもとを訪れ,
太原雪斎を含めた三者会談。
武田が福島方を支援することを懸念する寿桂尼に向かって,
承芳(義元)は
「母上,武田家そのものを寝返らせるのですよ。」とニヤリ。
過去大河では
薄化粧に眉墨,お歯黒という,
志村けんばりのバカ殿ふうに描かれることの多かった今川義元だが,
実際には「海道一の弓取り」と評された大名のはずで,
この”ニヤリ”はその片鱗というところか。
「風林火山」では
史実どおりの策士として位置づけられることになりそうだ。
 
  
会談後の帰り道,
寿桂尼の駕籠行列を
福島側の刺客が襲撃。
行列の末尾にいた勘助は
駕籠から抜け出た寿桂尼の手を引きながら
刺客と死闘,
相変わらずの強さで切り抜ける。
やっぱり
この大河の勘助は軍配の道じゃなくて
剣の道でも十分に通用しそうな気がする。
 
 
その後,
太原雪斎は武田家の当主・武田信虎と
武田家臣団唯一の爽やか男・小山田信有の仲介の下に密談,
転法輪三条公頼の娘を武田晴信の正室にあっせんすることを代償に,
信虎を福島方から自分たちに寝返られることに成功。
 
 
武田の寝返りを知らない福島越前守は 
天文5年5月,駿府城下に火を付けて
承芳(義元)側に事実上の宣戦布告。
 
承芳(義元)は北条氏綱の支援も受けて
福島方を押し返し,
花倉城を囲む。
 
この辺りのシーンで,
小田原城の氏綱と氏康がチラッと出てきたが,
氏綱役の俳優・品川徹って
よくよく見ると
「功名が辻」で松永弾正久秀の役をやって
首をごきごきと鳴らしていた俳優さんと
同じ人じゃん。


福島方は玄広恵探を擁して
花倉城に篭城し,
武田の援軍を待つが
いつまでたっても現われない。
同じ頃,
功城側に身を置く勘助は
庵原忠胤から,
太原雪斎が武田軍は来ないと言っていた,
という話を聞いて驚く。
現時点では,
軍師としての力量は
太原雪斎の方がはるかに上みたいだな。
 
もはや確実に
武田軍が来ないと見た承芳(義元)らは
遂に花倉城に総攻撃を開始。
 
花倉城はたまらず落城し,
勘助は逃げる福島越前守を追う途中で,
兄・貞久と出会い,
刀を交わすも,
貞久は途中で刀を捨てて,
勘助に山本家の名を継ぐように言い残して
自害したところで,
次週に続く。
 
 
それにしても
「風林火山」って
第1回から大規模な合戦シーンが
目白押しの感が強い。
今週も
全体から見れば脇道エピソードと思われる
「花倉の乱」のために
あれだけの合戦シーンを挿入するし。
 
ラスト数回にかけては
第4次川中島の戦いがあるんだろうし,
途中で息切れしないように
頑張ってほしいもんだ。
 
 
 
(今週の風林火山チェック・5段階評価)
先週のチェックでは
手始めにごちゃごちゃと書いてみましたが,
なんか面倒なわりに面白くないので,
シンプルなのに変えます。スマソ。
 
○今週の軍師度→☆
 花倉城攻めの前に庵原の嫡男に向かって
 武田軍の着陣の見込みを
 あれこれと講釈していた勘助だが,
 太原雪斎の策略で武田軍が現われずに
 無意味に。
 まだまだ軍師としての格が違うようだ。
 
○今週の献愛度→なし
 由布姫の登場まで「なし」が続くかも。
 
○今週の御館度→☆
 信虎のことじゃなくて,
 将来の御館様・武田晴信のことね。
 今週は登場シーン,少なかったな。
 ところで,
 「おやかた」ってこの字でいいんかいな?
 
○今週の好敵度→☆☆☆☆
 今回のライバルは太原雪斎(今回は味方側だけど)。
 あの信虎と直談判して
 武田を自軍に寝返らせたのはお見事。
 

  
次回は第6回 「仕官への道」。

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2007年2月 3日 (土)

本日の高尾山

今年になって初めて高尾山に登った。
 
今回は1号路を登山ルートに選択。
本来ならば
今頃がもっとも寒い時期なのだろうが,
登り初めるとすぐに暑くなり,
たまらずセーターを脱いだ。
思わぬところで
暖冬の影響を実感する。
 

ところで,
今日の高尾山だが,
麓も1号路も土曜日にかかわらず
なぜか人が多い。

どうしたんかいな,と不思議に思っていたら,
途中の看板を見て謎が解けた。
今日は2月3日,節分の日なので,
高尾山・薬王院で豆まき行事があるのだ。
 
1号路途上にあるその薬王院(※)を通過したのが
午後1時20分頃。
すごい群集で
山頂に向かう階段を
なかなか通ることができないので,
しばらく
豆まき行事を見ることに決定。
※というか,
 登山道1号路は薬王院への参道が本来の姿である。
 
 
やがて
豆まきが始まり,
数分ほど経過した時,
集まった人たちの中から
「サブちゃ~ん!」という掛け声。
 
はてな,と思って 
壇上の豆まき衆の方を見てみると
そこには演歌の大御所・北島三郎の姿があったのだった。
 
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高尾山登山中に北島三郎の姿を
見ることができるとは予想外の展開。
 
 
しばらくすると
山頂方面の階段がようやく空いてきたので
再び登山を続行し,
20分くらいで山頂に到着。
 
 
今日は快晴だったので,
山頂から見える富士山を期待したのだが,
スモッグのせいでかすかに見える程度だった。
 
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上の写真では分からないだろう。
 
この後,
1号路をゆっくりと下り,
1時間30分程で麓に到着。
 
さて, 
1号路の麓の出口を通り過ぎてすぐのところに,
普段見かけないような黒塗りの車が
意味ありげに停まり,
黒服の若い男性が後ろドアを開けて立っていた。
 
高尾山口駅に向かうために 
黒塗りの車の横を通り抜けようとして
ふと車の反対側を見ると・・・
ほんの数メートル先にいたのは,
また北島三郎!
 
ちょうど北島三郎が
ファンとスタッフに囲まれながら
迎えの車に乗り込むところに
知らず知らずに入り込んだのだった(笑)。

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