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2006年8月31日 (木)

漫画レビュー・高橋葉介の作品世界

ただいまマイブームなのが高橋葉介の作品群。
 
高橋葉介氏は
「夢幻紳士」シリーズや「学校怪談」で知られる
怪奇・幻想漫画家であるが,
今回はあえてファンの目にも
現時点では余り触れていないんじゃないかと思われる
雑誌「幽」(※)に掲載された作品を簡単にレビュー。
 
(※)念のため説明しておくと,
「幽」(メディアファクトリー刊)は
”日本初の怪談専門誌”と称して
平成16年7月から年2回のペースで
発行されている雑誌。
漫画誌ではなく,
むしろ京極夏彦のような人気作家が文章を寄せる
文芸誌のようなものであるが,
漫画作品も各号に数点掲載されている。
現時点で第5号までが刊行され,
創刊号から第5号までのすべてに
高橋葉介の単発作品を掲載。
なお,
その大きさ,厚さが
先行して刊行されていた
”世界で唯一の妖怪マガジン”「怪」(カドカワムック)と
そっくりなのは公然の秘密である。

 
(以下,作品内容に触れる場合あり。ねたばれ注意。)
 
○「陰陽」(「幽」vol.1掲載)
 道を歩いている少年が見知らぬ女性に屋敷の中に誘い込まれるが・・・。
 高橋葉介のお家芸といえる無言作品かつループ作品。
 
○「紅い蝶」(「幽」vol.2掲載)
 お座敷で”旦那”に「血の芸」を披露する芸人の少女。
 少女が気に入った”旦那”は・・・・
 内容と関係ないけど,
 芸人の少女の母親の顔が「夢幻紳士 逢魔篇」の女将とそっくり。
 同一人物と見ていいんだろうか。
  
○「ふらんそわ」(「幽」vol.3掲載)
 花の都(パリ?)に遊学した「僕」は美姫「ふらんそわ」と知り合う。
 やがて「僕」の子を身ごもった「ふらんそわ」と一緒に
 「僕」は船で帰国の途につくが・・・
 猟奇色の強い作品。
 作品の舞台は太平洋戦争直前から大戦中にかけての時代。
 
○「蛇女の絵」(「幽」vol.4掲載)
 絵の中で生きている蛇女を娘のように可愛がっていた「私」は,
 借金のある「あなた」にやむを得ず絵を貸すが・・・
 前回と変わってコメディ色の強い展開。
 
○「森を駆け抜けて」(「幽」vol.5掲載)
 白雪姫のスプラッタパロディ(?)。
 ストーリー展開が「陰陽」とちょっと似ているかも。
 
 
各作品の掲載頁数は余り多くなく,
しかも号を重ねるごとに
16頁→16頁→16頁→8頁→6頁
と最近2回は急減しているのが
ちょっと気にかかるところではあるが,
葉介ファンにとっては
目を通しておいて損はない作品たちといえよう。

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2006年8月28日 (月)

大河ドラマ「功名が辻」・第34回「聚楽第行幸」

今週は(も?)タイトルどおり聚楽第行幸の話が中心。

冒頭,千代@仲間由紀恵のドアップからスタート。
何かと思ったら
先週のラストで拾った赤ちゃんをあやしていたのだった。

前回のレビューでは全く触れないでしまったが,
千代が門前の捨て子を拾って育てたのは史実のようだ。
今回はこの子に幼名として
とりあえず「おひろい」という名前が付けられたけど,
これって豊臣秀頼の幼名と同じじゃなかったっけ。
何かの伏線なのかいな。
後に生まれる赤子の秀頼と
密かに取り替えられるとか。
 
んなわきゃねーだろ!と
自己突っ込みしたいところなんだが,
去年の「義経」では
似たようなサイドストーリーがあったから,
何だか心配(期待)しまうわいな。
 
 
この「おひろい」クンを育てることについて
千代は
反対を唱える新右衛門を軽くかわした上で,
逆に新右衛門の息子・新一郎の嫁ちぐさを
乳母にしたいと言い出す。
先週,耳が遠いネタで
新右衛門からかわれたのに対する
リベンジかな。
ちなみに
今週の新一郎の登場は
千代が乳母ネタを持ち出した時の一瞬だけ(たぶん)。
それにしても
新一郎はいつの間に結婚していたんだろ?
何か既に子供が複数いたようだったが。
 
その後,
帰宅した一豊も
「おひろい」について軽く千代をとがめるが,
家督は継がせないという条件付きで,
最終的には山内家で育てることについてOK。
 

その一豊殿だが
後陽成天皇の聚楽第行幸の御世話役という
難題を石田三成と共に命じられていた。
 
蹴鞠,香道(?)の習い事に勤しむも
うまくいかない一豊は
余り好きでない三成に
よろしく指導してほしいと頭を下げるという
何だか忠臣蔵みたいな展開。
その一豊に対して
三成は自らの大きなイベント構想を披露し,
力を合わせて上様が驚くようなことをしましょう,
と励ます。
ただただ圧倒される一豊。
もう完全に力関係が逆転して
大差を付けられてしまっている感じ。
97年「毛利元就」の主人公・元就役のときもそうだったが,
中村橋之助って智将を演じるのがうまいと思う。


一方,
千代の方は北政所(寧々)から
例の千代のパッチワークを
行幸の際に飾りたいという相談を受ける。
ちょっと躊躇った千代だが,
金子をいくらでも使っていいという言葉を聞いて
俄然やる気になり,
山内家屋敷の縁側でパッチワークの打ち掛けの製作を開始。
 
そんな千代を横目に
一豊殿はなぜか不機嫌。
加藤清正が秀吉から肥後半国をもらったのが
気に食わないらしく,
「上様は少しもわかっておられん」とふてくされる。
挙句に
四,五日病気になると千代に宣言。
おいおい,それって
第28回「出世脱落」のときと一緒だよ~。
あの時の法秀尼の命がけの説得は何だったんだ。
原作の千代だったら,
(ふん,大した才能もないくせに)とか独白してるぞ,きっと。
 

聚楽第行幸の初日,
一豊は本当に朝から欠勤し,
山内家屋敷の寝所でふてくされ寝。
しかし,
仮病がばれたらどんなお咎めを受けるでしょうね,
という千代の一言で不安になり,
起き上がってしまう一豊殿であった。

今週の一豊,
なれない御世話役におろおろしたり,
他人の出世に嫉妬してふて寝して欠勤したり,
千代の一言で不安になってやっぱり出勤したりと,
原作チックな小心者に描かれていた。
上川隆也氏演じるコミカルな一豊がとても上手い。



その頃,聚楽第では
後陽成院が千代のパッチワークを賞賛。
後日,院に献上されることになり,
一豊欠勤の穴を千代が埋めた形になった。

結局,一豊は
夜の能の舞の会場に顔を出し,
とりあえず完全欠勤は免れる。
本筋と関係ないが,
この能楽関係の方々,
シテ,ワキといった演者から
小鼓といった奏者まで
OPのキャストロールにおいて
名前付きで紹介されるという
丁重な扱いをされていた。
きっと皆さん,名の通った方々なんだろう。
 
ともあれ
「こうして聚楽第行幸は大成功をおさめた」(ナレーターより)
のだった。 
 

 
 
今週は,聚楽第行幸以外にも大ネタがひとつ。
 
淀殿(茶々)が秀吉の男子を出産したのである。
時に秀吉53歳。
狂喜した秀吉は早速「鶴松」と名付けた。
あれ?
鶴松の幼名って「おすて」じゃなかったっけ?
 
一豊ら秀次の宿老たちは,
男児出生の報を聞いて
「ワシはどうなる?」と不安がる秀次を励まして,
秀吉のもとに祝いの挨拶に行かせる。
一豊も随行。
 
有頂天の秀吉は,
秀次と一豊に向かって,
ワシが亡き後の天下は誰が取るのか言ってみろ,
と返答が難しい質問を投げかける。
 
これは有名な逸話-
 
--ある時,秀吉が
座興と前置きした上で
周囲の小姓たちに
次の天下人を誰と思うかを答えさせた後,
最後に自分で答えて
「次の天下人は黒田官兵衛だ。
あやつならば,
ワシが生きているうちでも天下を取れるであろうよ。」
と言った。
(あるいは,
「官兵衛の功績に比べて少ない禄高しかやらないのは,
あやつが恐ろしいからじゃ。」と言ったとも。)
それを聞いた黒田官兵衛は
自分が危険視されていることを知って
隠居を申し出たが秀吉に慰留された。--
--

の変形バージョンなのかな。 
 
ただ,
今回のその問答なんだけど,
  
 
 秀吉:ワシが亡き後に天下は誰が取るか?
 
 秀次:・・鶴松君でございます
 
 秀吉:鶴松は幼少じゃ。後見役が必要じゃ。
     ワシは器量の話をしておる。
   
 秀吉:天下を取るのが誰がふさわしいか,
     言うてみ? 
 
 秀次:・・・・・
 
 秀吉:一豊,どうじゃ?
 
 一豊:はあ・・・・
 
 秀吉:見る目がないのう。
     天下を取るのは官兵衛じゃ。
 
 
という展開。
 
秀次がいったん鶴松君だと回答しているのに,
ほとんど同じような質問を重ねる秀吉。
(天下を「取る」人と「取るのにふさわしい」人は
違うってか?)
せっかく途中で後見役の話を出したんだから,
二度目の質問は
”後見役にふさわしいのは誰か”を
聞くべきなんじゃなかろうか。

このように
何かヘンに思ってしまう秀吉の質問なのだが,
(実は秀吉の”狂気”が
既に始まっているという設定だったりして)
もっとヘンに思ったのは
黒田官兵衛。
 
官兵衛は
秀次と一豊がいるうちに
秀吉の前に現われて
引退したいと秀吉に申し出るんだが・・・
ちょっと待て,
官兵衛殿,それは早すぎるがな!?。
さっきの秀吉の
”次の天下人は官兵衛”発言の時に
官兵衛殿はいなかったじゃろうが。
仮に
襖の後ろで聞いていたにしても,
家臣や嫡男・長政に諮らずに
引退宣言していいのか?
 
 

以上,
今週もまとまりのないまま,
最後に「功名が辻」チェックに突入。
 
○今週の功名度→☆☆☆
  一豊は仮病で欠勤するも
 千代のパッチワークの功績で穴埋め。
○今週の愛情度→☆☆☆
   ベタベタするな~(by一豊)
 というセリフが出るのも仲がええからじゃろうな。
○今週の隠密度→ゼロ
  11週連続登場シーンなしを達成!!
 (トホホ・・・・・)
○今週の太閤度→☆☆☆
  鶴松君誕生
○今週のお笑度→☆☆☆☆
  今週は久しぶりにコメディチックな展開だった。

 

次回は第35回「北条攻め」。
今週のラストで再登場した副田甚兵衛だが,
その運命は・・・?

 

 

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2006年8月20日 (日)

大河ドラマ「功名が辻」・第33回「母の遺言」

今週のオープニング前の解説コーナーは
戦国の世における「兄と弟」がテーマだったが
秀吉と秀長を取り上げた際,
両者の間にハートマーク。
仲の良い兄弟の例として示したかったようだが,
ハートマークはちょっと違うんじゃないかい。
 
 
今回は本編の方も
「兄と弟」ネタを軸に展開。
ただしこちらは羽柴(豊臣)兄弟ではなくて
一豊と康豊兄弟の話である。
(というか,秀長は今週は本編に出てこないし。)
 
冒頭,
なぜかイラつく一豊を不思議がる千代に向かって
兄上は九州攻めに参加できなかったことが不満なのです,
と解説する康豊。
さらに康豊は
戦場での活躍ではなく
秀次様の八幡城下の街づくりに精を出すように
一豊に勧めるが
一豊はお主の指図は受けぬわ,と拒絶。
 
このシーンだけ見ると
康豊の主張に分がありそうだが,
実際の秀吉の九州平定作戦は
康豊が言っていたような「赤子の手をひねる」ようなものではなく,
戸次川の戦いで
豊臣軍(ただし,この時は外様中心)が島津軍に敗北するなど
当初はスムーズに進まなかったために
やむを得ず秀吉の弟・秀長や秀吉自身が出陣したという経緯がある。
特に秀長軍は最終的に勝利したとはいえ,
危うい場面などもあったようで,
そうした話を伝え聞いていたであろう一豊が従軍を望むのは
無理からぬところじゃなかろうか。
仮に秀次が大将として出陣して
宿老・一豊が活躍することができたとすれば,
長久手の戦いにおける
秀次の汚名をそそぐことにもなるわけだし。



さて, 
一豊と康豊の対立に頭を悩ませた千代は
新右衛門の発案で
法秀尼の庵に相談に出かけるが
そこで待っていたのは
死の床につく法秀尼だった。
 
侍女の話によると,
一豊・康豊の2人のために
雨の中をお百度参りをして風邪をこじらせたらしい。
侍女の話の途中で
法秀尼が雨をかぶりながら御参りをするシーンが
登場。
このごく短いシーンのために
実際に雨水をかぶった(←たぶん)佐久間良子の演技には
鬼気迫るものがあって素晴らしい。
 
その日の夕刻,
もう今宵は越せないだろうからと
千代に遺言伝達を頼む法秀尼。

晩になって駆けつけた
一豊,康豊,新右衛門が見たのは
既に息を引き取った法秀尼の姿。
兄弟2人に千代が口頭で伝えた
法秀尼最後のメッセージは
「お互いの異なる性分を尊びなされよ」というもの。
これを聞いた一豊と康豊は
互いに自分の不徳を詫びて謝罪。
ちょっとベタすぎる展開かな,
と思わないでもないが,
なかなかいいシーンである。
 
法秀尼@佐久間良子の「功名が辻」での登場は
これで終了。
こうして退場する重要人物が次第次第に増えていき,
最終回に段々と近づいていくわけやね。

 
 
主軸以外の話をいくつか。

今回は秀次が一豊たち宿老に向かって
自分の居城・近江八幡城の城下の街作りを熱く語るシーンがあった。
過去大河の秀次は
「殺生関白」の悪名そのままというキャラクターで
描かれることが多かったが,
今回は違った形になるのだろうか。
なお,秀次が
琵琶湖との湖上交通の要衝になる堀(八幡堀)を建設したり,
楽市楽座を置いたりするなどして
城下を商業都市として発展させようとしたのは史実のようだ。

 
それから,
秀吉が遂に茶々を手に入れることに成功。
それにしても
茶々(@永作博美)が
何だかえらく恐い人物として演出されている。
自分のことを「我」と言っているし,
秀吉の側室になることについて三成に向かって
「そなたは良いのじゃな?」「良いのじゃな?」・・・と
都合5回も「良いのじゃな?」を連発しているし,
あげくに「嘘をつけ!」とか言ってるし。

 
 
いつも以上に話にまとまりがないまま,
最後に「功名が辻」チェックをどうぞ。
 
○今週の功名度→ゼロ
  九州平定作戦に参加できず,
  八幡城下建設のための意見も思い浮かばず。
○今週の愛情度→☆☆☆☆☆
   度重なる苦難を乗り越えて。
○今週の隠密度→ゼロ
  この項目のチェック,
  意味があるのか疑問になってきた。
○今週の太閤度→☆☆☆
  九州平定を完了。残るは関東の北条氏。
○今週のお笑度→☆
  新右衛門の耳が遠いネタだけ。 
 
 

次回は

第34回「聚楽第行幸」。
枡を裏返してまな板代わり,へそくり馬に続く
3つ目の「内助の功」ネタが登場。

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2006年8月14日 (月)

大河ドラマ「功名が辻」・第32回「家康の花嫁」

今週のオープニング前の解説では
家康上洛のための秀吉の秘策として
「独身家康」という文字がドーンと出た。
築山殿の死去後,
正室がいない家康の状態を指し示した表現なんだけど
側室やその子供が何人もいる状態で「独身」ってのは
なんだかな~。
 
オープニングのキャストロールでは
蜂須賀小六@高山善廣が
おそらく初めて単独で表記された。
もしかして,と思ったら
やっぱり今週で卒業。
今後は本職のプロレスでも頑張って欲しい。
 
 
本編の方だが
今週はタイトルどおり
秀吉の妹・旭が当時の夫と離縁させられて
家康の正室になるという話が中心。
 
冒頭,
北政所(寧々)が突如,山内家の屋敷を訪問。
千代に対して
旭を家康に嫁がせるために副田甚兵衛と離縁させたい,
賢い千代なら良い考えが浮かぶのではないか,
と相談を持ちかける。
以前,
第16回「長篠の悲劇」の時に
旭の当時の夫・源助を
長篠の柵作りに引っ張り出そうとしたら
相談した千代に手ひどい裏切りを受けて
激怒したはずの北政所様だが,
懲りまへんな。
 
案の定,
千代は離縁を妨げるため
大政所様,さらには旭当人に情報をリーク。
大政所様は怒り狂って関白殿下にビンタをくらわせる。
今回のビンタは
なかなか力が入っていて良かったかも。

しかし,
秀吉はあきらめない。
秀吉が甚兵衛を,寧々が旭を,
それぞれ個別に呼び出して
相手が離縁を承諾したと嘘を付いて説得。
強引に離縁を進めてしまうのだった。
 
ちょっと面白いのは
浅野寧々が離縁に積極的に協力している点。
過去大河の寧々たちは
のりぴーも沢口靖子も佐久間良子も
この離縁話に反対していたはず。
「功名が辻」ではやはり寧々を単なる良い人ではなく
政治的感覚を持った人間として描く方針なんだろうね。
 
甚兵衛は離縁の代償だった5万石を拒否。
はっきり描かれなかったが出奔したものと思われる。
 
 
その後,
旭の嫁入り話を家康に持っていく使者として
織田長益と共に浜松城に出向いた一豊は,
「関白殿の妹御はいらぬ,
千代殿がほしい,と言われたどうする?」
と家康にからかわれながらも
最終的には婚儀の件について承諾をもらう。
返事の前
家臣たちと協議している際に
「43歳か・・・43,43」となぜか妙に43にこだわる家康。

一方,
大阪城では千代が旭に呼ばれて
無筆の旭のために
旭の口述を筆記する形で
甚兵衛宛ての手紙を代筆。
途中で
甚兵衛が干し大根を手に取ってそのまま
かじるシーンが挿入されたが,
私にはその趣旨がよく分からんかった。
昔,カックラキン大放送(日本テレビ)で
野口五郎がよくそんなことをしていたような気がするけど,
そのオマージュってわけではないだろうしねぇ。
 
 
こうして妹を差し出した関白秀吉だが
家康はなおも上洛しなかったことから,
秀吉は母・大政所を家康の下に送ることを決断。
これには家康も応じざるを得ず,
ついに家康は上洛,関白に謁見。

この際の
家康と秀吉のやり取りを
西田敏行・柄本明のベテラン2人が妙演。
それにしても
かつて「おんな太閤記」の秀吉役で一世を風靡した
西田敏行を相手にしての秀吉役,
柄本明としては
やりづらかったんじゃないかな?



今週もまとまりのないまま,
2週間ぶりの「功名が辻」チェックに突入。
 
 
○今週の功名度→☆☆☆
  とりあえず婚儀の使者は成功。
○今週の愛情度→☆☆
   婚儀妨害のため暴走する千代に
   困惑気味の一豊。
○今週の隠密度→ゼロ
  もう何週出てこないんだろ?
○今週の太閤度→☆☆☆☆
  家康上洛を実現。
○今週のお笑度→ゼロ
  最近はシリアスな展開が多いな。

 
 
次週は第33回「母の遺言」。
一回くらい
西田敏行と佐久間良子の会話シーンを
作ってほしかったけど
ちょっと無理っぽいみたい。

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2006年8月12日 (土)

大河ドラマ「功名が辻」・第31回「この世の悲しみ」

今週の「功名が辻」で描かれたのは
天正地震による
一豊・千代の一人娘・よね姫の死という
非常に重いもの。
千代役の仲間由紀恵,一豊役の上川隆也,
それに
よね役の森迫永依ちゃんの質の高い演技が光った。
日曜日の本放送を見逃した方は,
ぜひ土曜日の再放送を見て
ご自身の目で確かめて欲しい。
 
この天正地震だが
発生したのは
天正13年11月29日(1586年1月18日)の
亥の刻(午後10時)ころ。
マグニチュード7.9から8.1と推定され,
モンスター級の内陸地震であったと考えられているとのこと。
地震は
中部日本から近畿北東部までの広範囲に及び
特に
飛騨国・白川郷の領主・内ヶ嶋氏の居城・帰雲城は
この地震に伴う山津波で周辺集落と共にのみこまれてしまい
内ヶ嶋氏の一族は全滅したと伝えられている。
領地に埋蔵された豊富な金銀の採掘で
繁栄していたという内ヶ嶋氏の伝説が
後世まで伝えられたためか
天正地震は「白川地震」と呼ばれることも多いようだ。
この他にも
前田利家の弟・前田秀継の居城・越中国の木船城が崩壊し,
秀継が死亡するなど
広範囲で被害が発生している。
 
一豊の当時の居城・長浜城も
この地震によって全壊しており,
よね姫の死はこれによるものであった。

 

主題以外の話題を少し。
 
地震の起こるより前のシーンで
よね姫が
「叔父上(康豊のこと)の嫁になりとうございます」と
千代に打ち明け,
千代が叔父上であることをわきまえねばならないと
たしなめるというのがあったが,
叔父・姪婚自体は
当時,しばしば行われることがあったようで,
よね姫が成人していた場合,
男子のいない一豊が弟・康豊によね姫を添わせて
跡継とする可能性もあり得たかも知れない。
(もっとも
一豊と康豊の年齢差が4歳差であることを考えると
康豊の男子とよね姫のいとこ婚の方が
より現実的だとは思うが。)
 
この時代の叔父・姪婚の実例として有名なのは
長宗我部盛親が長兄・信親の娘を正室とした
ケースがある。
これは
盛親・信親の父・長宗我部元親が
信親の死(秀吉側に与しての島津攻めの際に戦死)を
嘆く余りに強引に行ったもので
その過程で
反対する家臣を多数粛清するなどしたため
後の長宗我部氏改易の遠因になったとされる。
(そして
長宗我部氏改易後の土佐国に
山内一豊が新国主として入るわけである。)
 
 
それと
今回,千利休が初登場(オープニング前の解説コーナーのみ)。
千利休役を演じたのは
表千家教授の鈴木宗卓氏(「千利休/茶道指導」というクレジット)。
「功名が辻」では
足利義昭役についても
過去大河の脚本をつとめた三谷幸喜氏が
演じている。
スタッフ側の人間による演技が
試みられているのだろうか。
 
 
今週のレビューは
本編と関係のない話の方が多くなってしまった。
 
 
なお,
「功名が辻」チェックは今週はお休み。
 
  
 
次回は第32回「家康の花嫁」。

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2006年8月 5日 (土)

霊場・恐山

恐山宿坊の話は
別記事(前編後編)に書いたので
今回は恐山の霊場の話を。
 
恐山は比叡山,高野山と並ぶ
日本三大霊場のひとつである。
後二者が
近畿地方にあり,
また密教を要素とする宗派(天台宗と真言宗)である
のに対して
恐山は本州最北の地・下北にあり,
宗派は禅宗(曹洞宗)に属することが
大きな特徴である(らしい。受け売りなので)。
 
恐山・菩提寺の山門は下の写真のとおり。
F1000392F1000395   
 
 
 
 
 
さて
宿坊の記事にも書いたとおり
今回,8月1日から翌2日まで
一泊二日で恐山に滞在したのであるが
初日は曇りで
肌寒いくらいの天気だった。
霊場も周囲の山に霧がかかって
よりいっそう幻想的な雰囲気である。
F1000396F1000397F1000399    
 
 
 
 
 
恐山のカルデラの真ん中には
カルデラ湖である宇曽利湖がある。
F1000401F1000440   
 
 
 
 
 
左の写真は「賽の河原」と呼ばれる場所。
この日は湖も寒々としていた。
 
恐山は火山地なので
霊場内にも
ところどころ蒸気が吹き出す場所がある。
F1000437 
 
 
 
 
 
この日は肌寒かったのと
温泉の方にも入りたかったのとで
霊場巡りは順路を一通り回るのにとどめた。
 
 
 
二日目は
打って変わって晴天。
強い日差しの中,
霊場内の気温も上昇。
昨日は霧に隠れていた周囲の山々も
姿を現した。
 
F1000443F1000445
 
 
 
 
 
 
宿坊をチェックアウトした後
霊場をじっくり見学する。
 

宇曽利湖も
前日とは一変した姿を見せていた。
F1000455F1000481 
 
 
 
 
 
真夏の白い砂浜に澄んだ海,
などと言われたらそのまま信じてしまいそうな
様相を示す「極楽浜」。
ただ
白く見えるのは実際には温泉分(硫黄?)であり
水が澄んでいるのは
湖が強酸性で
生き物がほとんどいないかららしい。
(ウグイという魚や水生昆虫などは
一部に生息とのこと)
水底から温泉が湧出しているのが
透けて見えるところもあった。
 
これは「血の池地獄」。 
F1000462
 
 
 
 
どうして赤いのか不思議。
 
 
これは
砂浜にポツンと立つ風車。
F1000460
 
 
 
 
霊場内では
あちこちに風車が立っている。
参拝者が残していったものだ。
 
昨夜の法話によると
恐山大祭の期間中は
信じられないくらい多数の風車が
浜辺に並んでいたそうで
大祭後にお寺の関係者の方々が
大変な苦労をして片づけをされたらしい。
 
最後に
霊場内の小高い山から
境内の方を撮影。
F1000444_1  
 
 
 
 

1日目の曇天の薄暗い神秘的な霊場と
2日目の晴天下の美しい宇曽利湖の双方を
見ることが出来たのはラッキーだった。
2日目は半袖シャツだったので
両腕の肘から先と顔だけが
日焼けしてしまったけど(笑)。 

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大河ドラマ「功名が辻」・第30回「一城の主」

冒頭,長浜城に城主として入った一豊。
鼻の下に髭をたくわえて
いかにも城主という顔立ちに変身。
千代と新右衛門は
それぞれ吉兵衛のことを思い出して感無量である。
 
結婚の時の約束を果たしてくれた,
と喜ぶ千代に対し
殿(秀吉)は自分の働きをちゃんと見ていてくれた,
千代の言うたとおりじゃ,
と答える一豊。
次は一国の主になれるかどうかだよな。
(結果的になれるのは分かっているけど。)
 
さて
今回のメインは
一豊・千代ではなくて
細川忠興の妻・玉@長谷川京子と
一豊の弟・山内康豊@玉木宏の
二人の間のエピソードである。
 
ぼろぼろの身なりの康豊は
長浜城下にいたところを一豊の家臣達に捕らえられ,
千代によって保護される。

玉が登場するのは
その康豊が千代に語った回想の中。
山で足を滑らせて骨折した康豊は
夫・忠興の手で
味土野に幽閉された玉によって
救い出され,手当を受けていたのだった。
庵で手当を受けているうちに
玉と康豊の間には微妙な感情が生まれたらしい。
康豊が自分が山内一豊の実弟であることを
玉に伝えてあるのかは
今回の描写では不明。

玉と夫・忠興の仲が冷えていくことを示唆する
描写もあり,
今後,康豊と玉のやや危うい関係が
どう進展していくのか,見物ではある。
 
人妻と夫以外の男の関係ということでは
千代と六平太の間のストーリーも
少しは描いてほしいんだけど
六平太の登場自体がずっとないからな~。
ま,
千代は旦那様☆命から
テコでも動きそうにないので
いくら描いてもちっとも進展しなさそうだけど。

余談だが
最初は玉木宏を玉置宏と勘違いして
いくらなんでも一豊の弟役は無理だろ~
と思ってしまった。
私以外にも同じ勘違いした人は
いるんじゃなかろうか。 
 
 
 
では最後に功名が辻チェックをどうぞ。
 
 
○今週の功名度→☆☆☆

  遂に一城の主となった一豊殿。
○今週の愛情度→☆☆☆☆
   夫婦と娘の三人の平穏の日々。
○今週の隠密度→ゼロ
  今週も登場せず。
○今週の太閤度→☆☆☆
  全国制覇はもうちょっと先になりそう。
○今週のお笑度→☆☆☆
  微妙なギャグがたくさんあったが
 千代がよね姫に
 例のパッチワークの色彩選びを
 教えている背後で
 侍女二人が頭を
 ごっつんこするというのが
 ちょっと面白かった。
 ほとんどの視聴者が
 気が付いていないと思うけど。
 
 
 
次回は第31回「この世の悲しみ」。

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宿坊に泊まる(下北半島・恐山)・後編

前編からの続き。
 
夕食の終了時に
午後8時から同じ大食堂で
菩提寺の院代(住職代理)の法話がある旨が
典座さんから告知された。
 
自由参加ということだったが
せっかく宿坊に泊まったのだから
ということで出てみることとする。
 
8時前に大食堂に向かってみると
今夜宿泊しているもう一グループの家族もきていた。
 
時間になって登場した院代のお坊様は
見た感じは自分より少し上くらいの年齢にみえる。
高齢の方を想像していたので意外(※)。
 
※あとでネットで調べたところ
 大学で講座を持ったり
 
一般向けの書籍も書いたりしている
 高名なお坊さんだった。
 
 
通常ならば大食堂の前の壇の上に座って
法話をするらしいが
今夜は出席者が少ないということで
我々と同じテーブルの席に着いて法話を開始。
 
法話は
内容は多数の冗談を交えた
落語のような感じのものだった。
中学生の頃,修学旅行で奈良に行った時に
学生達に向かって面白い話でお寺の由来を説明する
お坊さんを見たことがあるが
ちょうどそれと同じ感じである。
 
話の中でイタコのことにも触れていた。
イタコとお寺の関係だが
実は基本的に無関係なのだそうだ。
大祭の時にイタコが霊場内で口寄せをするのを
黙認するというだけであって
イタコさんたちは寺院に属しているわけではないし
寺院に場所代を払ったりもしていないとのこと。
にもかかわらず
菩提寺にかかってくる問い合わせの電話は
8割方はイタコの口寄せに関するものだとか。
 
 
法話は1時間くらいで終了。
その後,
今度は宿坊内にある温泉「御法の湯」に入る。
 
F1000426 
 
 
 
 
 
外湯と違って
こちらは新しくて広い(清潔なのは一緒だが)。
お湯は透明に近かった。 
 
ここもやはり貸し切り状態。
これだけ広くて綺麗な温泉の内湯の中で
物音も人の声もしないというのは,
かえって不気味な感じがしてしまうが
一週間前の恐山大祭の期間中は
多数の宿泊客で賑わっていたんだろう。
ちなみに入浴時間は
夜は10時まで,朝は5時から。
 
 
さて
夜は午後10時に全館消灯。
菩提寺は禅宗(曹洞宗)のお寺なので
寝る時間・起きる時間とも早いのだろう。
ただ
各宿泊室の電気まで
消されてしまうわけではない。
自分は11時くらいまで本を読んでから
消灯して寝た。
 
ところで
チェックインの時に
典座さんから
「夜は小さな虫が入るから
部屋の窓を開けないように」
と言われていたのだが
夜になっても窓辺に虫が現れたりはしなかった。
(実際に窓を開けたりはしなかったが)
ひょっとして
夜に入ってくるのは虫じゃなくて・・・とか
考えてしまった。 
 
 
翌朝は午前6時に起床,
6時30分から地蔵殿と本堂で「朝のお勤め」に参加。
と言っても
院代が経を唱える後ろで
座って手を合わせているだけである。
時間はトータルで30分間くらい。
正座はきつかったので
自分はあぐらでごまかした。

 
朝のお勤めは
義務であるとは言われなかったが
前夜の夕食後の典座さんの説明時に
法話は自由参加であると強調されていたのに
朝のお勤めの参加については
自由とも義務とも触れていなかったから
体調不良等の事情がないかぎり
参加が前提と考えて良いだろう。
 
朝食は7時30分から。
おかずは香の物が中心だったが
品数は多く,美味しかった。

朝食後は
境内の中をブラブラと散策。
チェックアウト時間の10時直前に宿坊を退出。

この後,前日に引き続いて
霊場の中を見学して回った。
 
 
 

今回,
初めて宿坊なるものを利用したのだが
恐山宿坊は思っていた以上に
普通の旅館に近かった。
飲酒なども食堂では認められないが
自室ではOKだそうである。
(宿坊内の浴室入り口にはビールの自販機もあった。)
普通の旅館・ホテルとの違いは
案内するのが典座のお坊さんであること
テレビがないこと
食事に魚肉が付かないこと
夜10時の消灯後は出入りが自由にできないこと
(外は真っ暗闇の中に寺院の境内と霊場があるだけなので
普通は出たくもないとは思うが)
朝のお勤めに参加すること
くらいであろうか。
 
宿坊によっては
制約がもっと緩いケースもあるようだし
(神社系の宿坊のように
魚肉・飲酒の制限はないこともある)
逆に
修行体験を目的として
一般客を受け入れているところでは
修行僧に準じた扱いを受けることもあるようだ。
宿坊に泊まろうと思ったら
事前に書籍やネットで
情報を収集するのが不可欠だろう。
 
 
 
なお,
恐山内の霊場の様子については
別記事にして御紹介することとしたい。

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宿坊に泊まる(下北半島・恐山)・前編

今週一週間はまるまる夏期休暇で仕事はお休み。
 
この夏期休暇を利用して
今週の火曜・水曜に一泊二日で
青森県の下北半島にある恐山に行って来たのだが
その際,宿泊先として恐山・菩提寺の宿坊を選んだ。
 
 
宿坊というのは
寺院や神社が設けた宿泊施設のこと。
本来は関係者が宿泊するためのものなのだが
一般向けの宿坊を設けている寺院も多い。

観光地にある寺院・神社の一般向け宿坊は
観光シーズンであっても空いていることが多く
意外な穴場ということで
ここ数年,静かなブームを呼んでいるとか。
(そのせいで段々と穴場ではなくなりつつあるらしいけど。)
 

以下,
私が今回利用した恐山宿坊のリポート。
 
 
恐山は大湊線・下北駅から
恐山行きのバスで45分ほどのところにある。
F1000474  
 
 
 
 
終点・恐山の直前にある「三途の川」の橋が見えてくると
バスの車内にまで硫黄のにおいが伝わってくる。
大昔に噴火した火山のカルデラの中に
恐山の霊場があるためだ。

そこから1分で恐山に到着。
 
F1000405F1000391
 
 
 
 
 
 
入山受付所のすぐ脇では
「合掌霊場アイス」なるものが売られていた。 
非常に興味があったのだが
到着した当日は肌寒いくらいの気温で
アイスを食べることは断念。
 
受付で入山料500円を払って
境内・霊場内に入った。
(宿坊宿泊者も入山料は別途必要)

 
 
ところで
恐山と言えば
イタコを思い浮かべる人も多いと思う。
実際,私が行く一週間前まで開催されていた
恐山大祭(7月20日から24日)の期間中は
霊場の中でイタコの口寄せが行われ
多数の観光客でにぎわっていたそうだ。
 
しかし
私が行った8月1日は
その直後ということで
口寄せを行うイタコの姿はなく
観光客すらまばらな状態だった。
というか
観光客が少ない時期を狙って
あえて恐山大祭の直後に
宿泊することにしたわけなのだが。

総門をくぐった後
まずは宿坊で受付を済ませて
今夜宿泊する部屋に向かう。
 
F1000417F1000411 




  
 
左が宿坊の外観,右が部屋の様子。
新しくて綺麗なのに驚く。
4年前に立て替えられたばかりだそうだ。
部屋は15畳と4畳半の和室二間,
トイレと洗面所付き。
トイレと洗面所は別々の小部屋。
高級な和風旅館と同じである。
旅館との違いは
案内をしてくれるのが典座のお坊さんであること,
テレビがないことくらいか。
 
ちなみにこれで
一泊二日二食付きの1万2000円である。
 
チェックインの後は
霊場を廻った上で温泉に入った。
そう,
恐山はカルデラ内にあるので
温泉があるのだ。
霊場の様子については
別記事で触れることとして
ここでは恐山温泉の様子を紹介しよう。
 
恐山・菩提寺の境内の中の温泉は
宿坊内に1ヶ所,外湯が4ヶ所(男湯2,女湯1,混浴1)。
外湯は入山料を払えば
宿坊宿泊者でなくても無料で入ることが可能。
 
最初に入ったのが「冷抜の湯」。
F1000406F1000407F1000408  
 
 
 
 
 
外観は山小屋みたいだが
中は清潔に掃除されており,
虫一つ落ちていなかった。
自分以外に入浴者もおらず
貸し切り状態。
 
時節柄なのか
「源泉の温度が高いので加水しています」
との表記。
にもかかわらず,
温泉の成分がとても濃いし,お湯の温度も高い。

次に入ったのが「薬師の湯」。
F1000409F1000412  
 
 
 
 
 
やはり貸し切り状態。
ここは更にお湯が熱かった。
後で典座の僧の方に話を聞いたところでは
その日の天候により温度は大きく変わるそうだ。
 
外湯はこの他に
「古滝の湯」と「花染の湯」があるが
湯にのぼせそうになったので
外湯はここまででやめておいた。
ちなみに
「花染の湯」は混浴。
お寺の境内に混浴の湯があるのは
ちょっと驚き。
 
 
外湯に入浴した後は
宿坊に戻り
午後6時から大食堂(だいじきどう)で
宿泊者全員が一堂に会して
精進料理の夕食。
 
ここで判明したのだが
当夜の宿泊者は
私のところと5人で宿泊にきた家族の
2グループのみだった。
優に100人以上は収容できそうな大食堂は
がらがらの準貸し切り状態。


典座の方の指導で  
「五観の偈」というのを唱えてから
料理をいただく。
宿坊に宿泊していることを実感させられる。
F1000423F1000424F1000425  
 
 
 
 
 
料理の方だが
精進なので魚肉はないものの
質,量とも十分すぎる内容だった。
食べきれずに半分弱残したほどである。
写真で分かるとおり
デザートのメロンまで付いていた。
 
夕食後,
午後7時から同じ大食堂で
お寺の院代(住職代理)による
法話があると聞かされる。

自由参加なのだが
2グループしか宿泊者がいないので
行かなかったらバレバレ(笑)。
 
ま,せっかく宿坊に泊まったんだし
有り難いお話を聞きに行ってみましょうかね,
ということで
時間どおりに大食堂に向かった。 
(長くなったので,以下は後編に続く)   

 
 

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