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2006年8月12日 (土)

大河ドラマ「功名が辻」・第31回「この世の悲しみ」

今週の「功名が辻」で描かれたのは
天正地震による
一豊・千代の一人娘・よね姫の死という
非常に重いもの。
千代役の仲間由紀恵,一豊役の上川隆也,
それに
よね役の森迫永依ちゃんの質の高い演技が光った。
日曜日の本放送を見逃した方は,
ぜひ土曜日の再放送を見て
ご自身の目で確かめて欲しい。
 
この天正地震だが
発生したのは
天正13年11月29日(1586年1月18日)の
亥の刻(午後10時)ころ。
マグニチュード7.9から8.1と推定され,
モンスター級の内陸地震であったと考えられているとのこと。
地震は
中部日本から近畿北東部までの広範囲に及び
特に
飛騨国・白川郷の領主・内ヶ嶋氏の居城・帰雲城は
この地震に伴う山津波で周辺集落と共にのみこまれてしまい
内ヶ嶋氏の一族は全滅したと伝えられている。
領地に埋蔵された豊富な金銀の採掘で
繁栄していたという内ヶ嶋氏の伝説が
後世まで伝えられたためか
天正地震は「白川地震」と呼ばれることも多いようだ。
この他にも
前田利家の弟・前田秀継の居城・越中国の木船城が崩壊し,
秀継が死亡するなど
広範囲で被害が発生している。
 
一豊の当時の居城・長浜城も
この地震によって全壊しており,
よね姫の死はこれによるものであった。

 

主題以外の話題を少し。
 
地震の起こるより前のシーンで
よね姫が
「叔父上(康豊のこと)の嫁になりとうございます」と
千代に打ち明け,
千代が叔父上であることをわきまえねばならないと
たしなめるというのがあったが,
叔父・姪婚自体は
当時,しばしば行われることがあったようで,
よね姫が成人していた場合,
男子のいない一豊が弟・康豊によね姫を添わせて
跡継とする可能性もあり得たかも知れない。
(もっとも
一豊と康豊の年齢差が4歳差であることを考えると
康豊の男子とよね姫のいとこ婚の方が
より現実的だとは思うが。)
 
この時代の叔父・姪婚の実例として有名なのは
長宗我部盛親が長兄・信親の娘を正室とした
ケースがある。
これは
盛親・信親の父・長宗我部元親が
信親の死(秀吉側に与しての島津攻めの際に戦死)を
嘆く余りに強引に行ったもので
その過程で
反対する家臣を多数粛清するなどしたため
後の長宗我部氏改易の遠因になったとされる。
(そして
長宗我部氏改易後の土佐国に
山内一豊が新国主として入るわけである。)
 
 
それと
今回,千利休が初登場(オープニング前の解説コーナーのみ)。
千利休役を演じたのは
表千家教授の鈴木宗卓氏(「千利休/茶道指導」というクレジット)。
「功名が辻」では
足利義昭役についても
過去大河の脚本をつとめた三谷幸喜氏が
演じている。
スタッフ側の人間による演技が
試みられているのだろうか。
 
 
今週のレビューは
本編と関係のない話の方が多くなってしまった。
 
 
なお,
「功名が辻」チェックは今週はお休み。
 
  
 
次回は第32回「家康の花嫁」。

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