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2006年3月12日 (日)

芭蕉とかさね

以前,友人夫婦に女の子が生まれたときに,友人(夫の方)が「風音」(かざね)という名前を付けようとして,奥さんだけではなく双方の両親や友人たちからも大反対を受けて断念したことがある。

周囲の皆さんが反対したのは,その名前が怪談「累ヶ淵」の主人公である「累」に繋がるからなわけである。それゃ反対するわな(もっとも,怪談の主人公と読みが同じ名前なら一切駄目なのかというと,なかなか難しいところである。たとえば「貞子」だったらどうだろう?)。

「累ヶ淵」の簡単なストーリーは↓を参照にされたし。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/42318_19228.html

ところで,この「累ヶ淵」は完全なフィクションではなく,1672年に下総国・岡田郡羽生村で起こった事件がベースになっているとされる。

http://www.city.mitsukaido.ibaraki.jp/sights/history/015.htm

http://meguroku-net.com/meisyo/yuutenji/yuutenji-4.htm

なお,「フィクションではなく」というのは,累の亡霊が菊という娘に憑依したのが事実だということを意味するわけではない。客観的には,菊が自分が亡霊に憑依されたと主張し,かつ,憑依されているかのごとき言動を取ったというところまでが事実である。

さて,話は飛ぶが,このブログを読まれている数少ない皆さんは,松尾芭蕉の奥の細道をご存知だと思う。「奥の細道」の知名度は,おそらく怪談「累ヶ淵」などとは比較にならないくらい高いだろう。(江戸時代には,「累ヶ淵」の原話(「死霊解脱物語聞書」)の方がおそらく一般に広く知られていたという話もあるのだが。)

この「奥の細道」には,一緒に旅をした曾良の記述と合致しないところがあるとか,芭蕉は実は公儀隠密(幕府のスパイ)じゃないかとか,いろいろ謎めいた話があるのであるが,私的に非常に興味をひかれる箇所がある。

前振りが長かったが,ここでようやく本題に入る。芭蕉と曾良は,那須の黒羽というところで「かさね」という名前の小娘に出会っているのである。

http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno06.htm

http://133.67.9.141/study/public_html/study6.html

かさねとは八重撫子の名成べし 曾良

当時,女性の名前は音2文字(「きく」とか「いわ」とか)が普通であり,3文字は珍しい。しかも,文献上,「かさね」と読める名前は,この「奥の細道」の小娘と,怪談「累ヶ淵」の主人公しか確認されていないらしい。

以上から,次のような仮説が立てられる。もしや松尾芭蕉は後に「累ヶ淵」の主人公となる女性が小娘の時に出会い,その奇跡的に偶然な会合が「奥の細道」に残されたのではないかと・・・果たしてこの仮説は肯定できるであろうか?

(以下,後日につづく)

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