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2006年3月31日 (金)

カクテルバー

いつもノンアルコール飲料みたいに
いささか本道から外れた話ばかりなので
たまには真面目にお酒を飲んだ話を。

某日,
くま様(@くまのこだわり)が中心となって
新宿のとあるバーに行った際に
一緒に行った方々が飲まれた
カクテルの数々を御紹介します。

このお店のマスターは
注文者のイメージに合わせて作った
カクテルを出してくれました。

まずは,くま様が最初に飲んだカクテル。F1000091
 
無色透明ですね。
スポーツもお料理もいけてる
多才なくま様にふさわしいかと思いました。

 

お次は某女史に出されたカクテル。
F1000093_2

透明なスカイブルーです。
なるほどなるほど。
  

 

こちらは別の某女史に出されたカクテル。
F1000094  
可愛らしいカクテルだというのが
皆さんの評でした。
名称は「パラダイス銀河」?(うろおぼえ)
  

今度はカクテルではなく,ビール。
F1000096_1 一緒に行った某氏が
展示してあった外国産缶ビールを落っことし,
中身が漏れてしまったのを買い取って
陶器製グラスに注いだもの。

 
おいしかったそうなので,
怪我の功名といったところでしょうか。
(でも氏は直前に行った焼肉屋さんで
ビールをジョッキで3杯くらい飲んでたような気が。)

他にも
いくつかカクテルの写真を撮ったのですが,
店内が暗かったためか,
ブレやピンボケが著しいために
ご紹介できずに残念。

マスターからは
私以外の連れの皆さんに対し
「口当たりがいいからといって飲みすぎると
あとで後悔しますよ。」
と親切な御忠告まで頂きました。 

私はまったくの下戸で
このお店でもアルコールは飲まなかったのですが,
連れの皆さん各自のイメージから
どんなカクテルが生まれてくるのかを見ているだけで
時間がたつのを忘れました。

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2006年3月26日 (日)

「功名が辻」第12回「信玄の影」

本日のオープニングは武田信玄と武田軍の解説からだったが,
その時に紹介された武田信玄の肖像画は
現在では武田信玄かどうか疑問視する声が強いもの。
(ただし,やはり信玄像であるとの再反論が出されているらしい。)

本編では案の定,武田信玄は出てこなかった。

さて,本日は
一豊と小りん,六平太のやりとりと
歴史の流れ(武田軍動く→足利義昭挙兵→信玄の死・義昭追放)
の二本立てのストーリー展開で,
千代の出番はほんの少しだけ。
ひょっとしたら今までで最小のセリフ量かもしれない。
一豊の家臣2人もほとんど登場せず(新右衛門@前田吟は非登場か?)。

一豊にストーカーのごとく付きまとう小りん。
小りんは情報を得るために一豊を篭絡しているのかと思いきや,
いつの間にか本気でほれていたのであった。
千代の時といい,
今回の大河では小娘キラーな一豊様である。
(去年の大河の主人公はジジイキラーであったが。)

本来はコメディシーンと思われる
小りんが一豊に向かって「切れー,切れー」と叫ぶ場面は
全然笑えなかった(台詞回しが今ひとつかも)。
やはりコメディは
千代@仲間由記恵でないとあきまへんな。
でも
シリアスシーンでの小りん@長澤まさみは
なかなかよかったかも。

小りんを追い払ったものの
やはり気になって探しに出た一豊に
今度は突如,六平太が襲い掛かり,
自分と手を組めと迫るも
「自分は日輪の下で功名を立てる。そう千代に言うた。」と一豊は拒否。
六平太は信玄が死の病にあることを告げて去っていく。
恋敵の一豊から「日輪の下で」なんて言われてしまっては,
辛いですな。
その辛さをそこはことなく醸し出していた香川照之はさすがだ。
NHKのHPもバック転よりそっちに注目してほしい。
とはいえ,あのシーンは吹き替えなしだそうで,確かにそれも見事ではある。)
ただ,惜しむらくは
香川照之って秀吉(by「利家とまつ」)のイメージが抜けきれないこと。
あの顔を見るといまだに秀吉を連想してしまう。
それほど秀吉役にハマっていたということなのだが。

秀吉の話が出たついでに言うと,
今回の秀吉様@榎本明,
なぜか信長様以上にセリフが聞き取りづらかった。

そういえば,
今週のすっころび役は
一豊ではなくて将軍様だった。
一豊は自分が顔面を打つ代わりに
小りんを顔面から地面に叩きつけていた。

 

それにしても
千代の登場シーンが少ないと
感想も今ひとつ盛り上がらんな。
 
次回は「小谷落城」。
予告を見る限りでは
千代の登場場面がいっぱいありそうだ。

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雨ニモマケズ

かの宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ 」は
余りにも有名ですが,
その中に

>一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ

というくだりがあります。

この「四合」というのは多すぎるという
議論があると以前から聞いていました。

本日の休日出勤に備えて
昨日は一日家でゴロゴロしていたこともあり,
朝4合の白米を炊いて
香の物とお味噌汁だけをおかずに
一日で食べ切ることができるかを
試してみました。

で,結論を言います。

 

 

食べ切れるわけがないだろ!
 
・・・試してみた私が馬鹿でした。

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2006年3月25日 (土)

妖精写真

まずは下の写真をみていただきたい。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/7/71/Cottingley_Fairies_1.jpg

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/d/d1/Cottingley_Fairies_2.jpg

少女と共に妖精が写っている。

この写真は,英国・ブラッドフォード近くの村コティングリーで
1916年から1920年にかけて
いとこ同士である2人の少女が撮影した写真である。
少女たちは以前から妖精に出会ったと周囲に話していたが,
信じてもらえなかったため,
証明のためにカメラを借りて撮影したのだという。

この写真が世に出回ると
その真偽をめぐって激しい議論が起こった。
否定派が,
写真に写った妖精が余りに現代的であることなどを理由に
(伝承上の妖精fairyは,むしろ妖怪的な存在である。)
偽造写真であると主張したのに対し,
肯定派は
二重写しの痕跡がないことや
撮影した十代の少女たちに偽造が無理なことを理由に
本物の妖精写真であると主張した。
特に強行にこの写真が本物であることを主張したのは
アーサー・コナン・ドイル,
つまり「名探偵シャーロック・ホームズ」シリーズの作者である。
ドイルはこれを肯定するために本まで書いている。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/487282301X/qid=1143289493/sr=8-5/ref=sr_8_xs_ap_i5_xgl14/503-6881231-8225535

その後,
この写真は肯定派によって
ずっと本物として紹介されつづけた。
私も小学校高学年の頃(70年代後半)に
子供向けの本の中で本物の妖精の写真として紹介されているのを
読んだ記憶がある。

しかし,
80年代に入ってから,
撮影した2人の女性は
写真がフェイクだったことを告白した。
彼女たちは,
本に掲載されていた妖精の絵を紙に写し取って切り取り,
長いピンに貼り付けて地面に刺して留めた上で
自分たちと一緒に撮影していたのだった。
二重写しの痕跡が見つからないのも当然だったわけである。
自分たちの妖精話を信じない大人たちを
ビックリさせようとした小さないたずらが,
ドイルを初めとする著名人が大騒ぎしたために
今日まで伝わるような事件に発展してしまったのだった。

 

以上が世に言う「コティングリー妖精事件」のあらましですが,
最後に一言言わしてください。

・・・写真に写ってる「妖精」,どう見たって平面的じゃん!
絵に決まってるだろーが!
なんでコナン・ドイルがこの写真に引っかかったのか,
私的にはそっちの方が謎です。

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2006年3月23日 (木)

2月に読んだ本

先月読んだ書籍の感想などを。

○松山ひろし著「3本足のリカちゃん人形―真夜中の都市伝説」
 
 都市伝説関連サイトの管理人でもある著者が
 集めた多数の都市伝説を収録した本。
 「都市伝説」を冠する本は世の中に少なからずありますが,
 その背景事情まで踏み込んで考察している点で本書は秀逸。

 
 もっとも,私が本書を手に取ったのは
 その強烈な表紙の絵のせいでしたが。
 どこかで見た絵柄だと思ったら,
 児嶋都だった(怪奇大盛!!肉子ちゃん」シリーズの作者ね)。

 

○板倉光馬著不滅のネービーブルー―どん亀艦長海軍英傑伝
 
 旧日本海軍で潜水艦の艦長をつとめた
 「どん亀艦長」こと板倉光馬氏の著作の一つ。
 板倉氏の著作では
 自己の半生を振り返った「どん亀艦長青春記」や
 「あゝ伊号潜水艦」が
 比較的有名だと思いますが,
 本書はこれらと異なり,
 海軍人間物語といった感じのものになっています。
 
 実は初読ではなく,
 大学に入ったばかりのころに呼んだ記憶があります。
 本屋さんに新書版があったので手に取った次第。
 第五部「呪われた潜水艦」なんて
 久しぶりに読めてすんごく懐かしかったのでした。

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2006年3月21日 (火)

日本最古のカレー(つづき)

前回,「横濱カレーミュージアム」のHPから
既にカエルカレーの記事が削除されていると書きましたが,
同HP内のカレーの歴史・文化というコーナーの中において
文献「西洋料理指南」(明治5年刊)のカエルカレーのレシピが
紹介されていました。
http://www.currymuseum.com/museum/history03.html
 
レシピには「赤蛙」とあります。
 
フランス料理とかで使われる食用蛙というとウシガエルかなと思うんですが,
ウシガエルはアカガエル科だということなので,
ここでいう「赤蛙」とはウシガエルのことなんでひょか?
 
カエル肉の他にも海老,鯛,牡蠣といった高級海産物が具として使われていて
相当に豪華なカレーです。

「横濱カレーミュージアム」さんが
今年もカレー記念日(6月2日)にカエル入りカレーを限定復活してくれますかどうか。
昨年度のカエル入りカレー限定発売は4月に発表されたようですので,
この日本最古カレーを味わいたいグルメの皆様は
しばらくの間,「横濱カレーミュージアム」のHPに注目されたし。
ここ↓
http://www.currymuseum.com/index.html

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2006年3月19日 (日)

「功名が辻」第11回「仏法の敵」

今回の小りんネタはちょっとだけだった。
冒頭で一豊が小りんに命を助けられたことを
回想したシーンだけ。
少しさびしいが,あまりこのネタで毎回引っ張っても
くどいしな。

くどいと言えば,今回も上川隆也が体を張ったギャグがあった。
側室にしたい女子がいるならお連れくださいませ,
と千代が言ったのを聞いた一豊があわてるシーンで
滑って顔面からズットーンと倒れるというもの。
これからも毎回上川氏は顔面を打つのであろうか。

さて,今回は
一豊夫妻から教育を受ける秀吉の甥っ子・治兵衛のシーンと
横山城および延暦寺での合戦シーンの2本立てで展開。
岐阜城下での千代中心のシーンと
合戦場での一豊中心シーンの2本立てというのは
定番になってきましたな。

千代は治兵衛に初対面で頭を下げていたけど,
なぜかその後は「治兵衛」と呼び捨て。
秀吉の縁者なんだから,
せめて治兵衛「殿」くらいは付けてほしい。
それとも,寧々のいるところでは尊重しておいて
目が届かなくなると呼び捨てにしている
という設定なのか?

横山城下で戦心にはやる一豊をいさめる竹中半兵衛。
元恋敵の軍師様からいさめられては一豊も従わざるを得ませんな。
セリフに鷹揚がないのは足利直冬(「太平記」)以来ずっと変わらない筒井道隆だが,
半兵衛のような冷静キャラではなかなかマッチしていて良いかも。

その後,一豊は
秀吉に従って比叡山延暦寺包囲に加わるも
足利義昭が朝廷に奏上して得た勅命のため
合戦なくして終わり,
いったん岐阜に戻る。
 
一豊「千代,こたびも命拾うたぞ!」
千代「お命の持ち帰りこそ,功名の種にござりまする。
無事のお帰り,うれしゅうございまする。」
このやりとりはいいねえ。
これも何回も聞かされているわけだが,
くどいとは全く思わない。
ごくごく短いやりとりだが,
同じセリフであっても,
毎回微妙に変化が付いていて
上川隆也と仲間由紀恵の演技力が光る。

さて
2度目の延暦寺攻めを命じる信長を
いさめる光秀は信長に足蹴りにされる。
この足蹴りシーンだが,
足蹴り行為自体はなぜか映像に現われてこなかった。
足蹴にする直前→(間がとんで)→光秀が壁にドーンとぶつかる
という感じ。
さすがに坂東三津五郎を本当に足蹴にはできなかったのか,舘ひろし。

その舘ひろしの信長,どうにもセリフがくぐもっていて聞き取りづらい。
今回に限らず,この大河での舘ひろしの信長は
全体的に年取りすぎの感じが強い。
大河で信長役の俳優が50歳を過ぎているのは
「秀吉」の渡哲也以来だそうだが,
渡哲也演じる信長はもっと若々しくて神々しかったぞ。
(去年の清盛役ではさすがに年取ったと思ったけど,神々しさは相変わらずたった。)

延暦寺焼き討ちのシーンでは
一豊は同僚の堀尾茂助や中村一氏と共に
女子供や僧(非武装の)を殺害する寸前までいったが
秀吉の気転により彼らは無事に逃げていった。
この頃は
信長の命令をサボタージュしてでも
人命を救っていた秀吉だが,自分が天下人になってからは・・・
というようなことに今後なっていくんでしょうな。
 
ところで,この延暦寺のシーンで
堀尾か中村のどっちかが(どっちか分からなかった)
一豊のことを「伊右衛門!」と通り名で呼んでいたのは良かった。
千代はいつも「一豊様」と呼んでいるけど,
普段は通り名で「伊右衛門様」と呼ぶ方が自然ではないだろうか。
もっとも
視聴者には分かりづらいかもしれないし,
「伊右衛門様」と聞くと
「うらめしや,伊右衛門さま~」(by四谷怪談)を
思い出す人もいるかもしれん(←それは私だ)。

次回は「信玄の影」。
タイトルに信玄の名前が入っているけど
今回の大河では
武田信玄はキャスティングされていないから
少なくとも信玄登場はないと思う。
(来年の大河では出ずっぱりのはずだしね。)

(おまけ)
「功名が辻」豆知識
 
今回の大河ドラマの主人公である
山内一豊の正室・見性院だが,
その俗名は伝わっていない。
 
「千代」というのは,
土佐藩の2代目藩主・山内忠義(一豊の弟・康豊の実子)の
生母(康豊の室)の名であり,これが混同されたのではないかともいう。
 
江戸時代の文献には
一豊の正室の名を「まつ」とするものもあるが,
信憑性には疑問が付されている。
 
もし一豊の妻の名が「まつ」だったりするとちょっとイヤだな~。
ただでさえミニ「利家とまつ」とか言われているのに。

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ノン・アルコール日本酒など

世にノン・アルコールビールはたくさんあるようで,
キリン・モルトスッカシュアサヒ・ポイントワンサッポロ・スーパークリアなど
大手ビールメーカー各社とも1つは製品を用意しているようですな。

ビール以外はどうかということで検索してみますと
 
ノン・アルコールワイン
http://item.rakuten.co.jp/nakae/4903024127813/
 
ノン・アルコール酎ハイ
http://www.cancanziten.com/?can=3211

などがありました。

では,日本酒はどうか?というと
日本酒は
アルコール自体が重要な味覚要素であることから,
ノン・アルコール日本酒は不可能といわれていたそうですが,
2003年に金沢の酒造業者から発売されているそうです
(同時期に他の大手業者からも発売されたが,既に入手できないらしい)。
http://dealco.racco.mikeneko.jp/SAKE/enkai.html

現在,楽天でも入手できるようです。
http://www.rakuten.co.jp/jizake/448713/#403000

上戸の人も下戸の人も
話のネタにするために1本いかがでしょうか?
・・・って,10本単位からの購入なのか。

200mlが1ビンで2500円,しかも10本単位の購入となると
うーん,少なくとも私的には躊躇・・・。
でもこのメーカーさんにはがんばってもらいたいですね。

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2006年3月18日 (土)

芭蕉とかさね(その3)

松尾芭蕉が那須・黒羽で
「かさね」という小娘に出会ったのは
「奥の細道」によると
元禄2年(1689年)4月3日のことらしい。

これを「その2」で示した時系列表の中に
入れてみると
次のとおりとなる(羽生村事件より前の出来事は省略)。

1672年 菊が累の霊に乗り移られる騒動発生(羽生村事件)。

1689年 ★松尾芭蕉,那須・黒羽で少女「かさね」と出会う。

1690年 羽生村事件を題材にした「死霊解脱物語聞書」刊行

1694年 ★松尾芭蕉 死去

1702年 ★「奥の細道」刊行

一見して明らかなとおり,
松尾芭蕉が「かさね」と出会ったのは,
「死霊解脱物語聞書」刊行の前年である。

幼いとは言え,
芭蕉の乗る馬の後を慕って
年上の子供(*)と一緒に追いかけていること,
自分の名前を名乗っていることからすれば,
「かさね」は少なくとも
四,五歳にはなっているとみるべきであろう。
*与謝野蕪村の挿絵では年上の男の子が一緒に描かれているが,
原文では「ちいさき者ふたり」とあるのみなので,年上の子の性別や血縁関係は不明と思われる。

となると,「かさね」の命名は
「死霊解脱物語聞書」刊行の前年より
さらに数年さかのぼることになり,
少なくとも
「死霊解脱物語聞書」を読んだ「かさね」の親が
自分の娘に「かさね」と名づけたということは
あり得ないという結論になる。

ただし,
「死霊解脱物語聞書」刊行以前の段階でも
羽生村事件のストーリーが
ある程度は人々の間に広まっていた可能性もあり
「かさね」の親が「かさね」誕生の時点で
羽生村事件を伝聞により知っていたことまでは
否定しきれないだろう。

あるストーリーが過去のある時点で
伝聞,噂話の形で広まっていたか否かを
検証するのは相当困難であり,
結局,「累ヶ淵」の「累」が
「奥の細道」の「かさね」命名に影響を与えたか否かは
おそらく永遠に謎まま,
今後も奇談愛好家たちの想像力をかきたてていくのであろう。

 

 

・・・と,これで終われば
綺麗に話が落ちることになるのだが,
実はまだ終わらない。

今までの検証の大前提を崩壊させてしまう
文献が存在するのである。
それは,
ほかならぬ河合曾良の日記である。
「奥の細道」において,
かさねの名前を歌に詠んだとされる曾良の当人の日記には
歌を詠んだことはおろか,
「かさね」という少女に会ったことも記録に残っていない。
それどころか,
「ちいさき者ふたり」に会ったことも,
「かさね」の父親と思われる農夫が芭蕉に馬を貸してくれたことも
(これが芭蕉が「かさね」と出会う端緒となった)
記録されていないのである。
http://www.tatematsu-wahei.co.jp/nikki/htmlData/00/00_06.html

そもそも,
この時代,馬は現代で言えば高級車にあたるような
一大財産だったわけで,
いくら人の良い農夫であっても,
簡単に芭蕉たちに馬を貸しているのは
不自然である。

更に
その1でも触れたとおり,
芭蕉の「奥の細道」と曾良の日記の齟齬は
他にも指摘されている箇所がある。

結局,
芭蕉と曾良がともに旅をしたこと自体は
事実ではあるけれども,
「奥の細道」はその正確なルポタージュではなく,
あくまで創作された一つのフィクションと
捉えるべきなのであろう。

残念ながら,
那須・黒羽の少女「かさね」は
芭蕉が「奥の細道」の中で創造した
虚構のキャラクターというのが正解のようだ。

しかしながら,
それでもまだ残る謎はある。
それは芭蕉が「奥の細道」に「かさね」というキャラクターを
登場させた理由である。

芭蕉が羽生村事件を知った上で
「かさね」というキャラクターを創造した可能性はないだろうか。

次回はこの点を検証してみたい。

(補筆)
前の日曜日に
「芭蕉とかさね」をブログに乗せ始めてから
どーも妙な感じのことがありまして・・・
微熱が出たりもするし。
”怪を語れば怪至る”とはこういうこと?

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2006年3月16日 (木)

日本最古のカレー

くま様のブログでカレーが話題になっていたので,
対抗して(?)カレーの話。

横濱カレーミュージアムでは
去年6月2日に「カレー万博2005」が
開催されたそうですが,
その際,
「西洋料理指南」(明治5年刊)による
日本最古のカレーを再現し
当日限定で販売したしたとのこと。

当の横濱カレーミュージアムのHPからは
既に該当記事は削除されている模様ですが,
イベントを紹介した新聞記事が残っていました。
http://www.hamakei.com/headline/772/index.html

日本最古のカレーは
何とカエル入りカレーだったのです。

このカレーが実際に昨年6月2日に発売されたのか,
本当に発売されていた場合に食べた人の感想はどうだったのか,
引き続き調査中。情報も歓迎します。

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2006年3月15日 (水)

ケーキを食べた

昨日,ケーキを食べた。高級なケーキだった。おいしかった。

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東郷ビールの話とか

みなさん,東郷ビールは御存知でしょうか。

日露戦争における日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎元帥を記念してフィンランドで発売されたというビールです。

楽天でも出品されています。http://www.rakuten.co.jp/beerzone/392644/392706/381459/#314315

ついでにウィキペディアで「東郷平八郎」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E

同じくウィキペディアで「日本海海戦」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E6%B5%B7%E6%88%A6

ところがどっこい。
東郷元帥を記念して東郷ビールが発売されたというのは都市伝説らしい。
http://suomi.racco.mikeneko.jp/Elama/togo-j.html
http://www.d7.dion.ne.jp/~jussih/amiraali/epavarma.htm

提督の肖像をラベルにしたビールの一つに過ぎないとか。
しかも実際の発売は1970年。
正直,ずっと信じてましたよ,あの話。

それにしても,この伝説がどういう経緯で生まれっていったのか,ちょっと興味があります。

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2006年3月13日 (月)

芭蕉とかさね(その2)

前回からのつづき

分かりやすくするために関連する出来事を時系列で示してみよう(★は芭蕉関係)。

 

1644年 ★松尾芭蕉 誕生

1647年 羽生村の百姓の女・累が婿の与右衛門に殺害される。目撃した村人がいたが,公にならず。

※その後,与右衛門は何度か後妻を迎えるが,次々と亡くなる。6 番目(?)の後妻は比較的元気で女の子を産み,菊と名付けられる。

1671年 菊の母親が病死。菊は数え年13歳で同村の男・金五郎と結婚

1672年 菊が累の霊に乗り移られる騒動発生(羽生村事件)。

1690年 羽生村事件を題材にした「死霊解脱物語聞書」刊行

1694年 ★松尾芭蕉 死去

1702年 ★「奥の細道」刊行

 

この時系列からすれば,少女時代の累に芭蕉が遭遇することはあり得ないことが分かる。むしろ,芭蕉の幼年時代に累の殺害事件が起きているのである。

それに,芭蕉が「かさね」という少女と出会ったのは,前回紹介したとおり,那須の黒羽であり,ここは下野の国であるのに対し,累が住んでいた羽生村は下総の国であり,地理的にも結構離れている(今で言えば,前者は栃木県大田原市,後者は茨城県水海道市)。

よって,「奥の細道」に登場する少女「かさね」と,怪談・累ヶ淵の「累」は同名の別人物というのが論理的帰結ということになろう。

だが,私としては,一点,どうしても引っかかるところがある。それは「かさね」という名前そのものについてである。

前回も触れたとおり,「かさね」という名前は極めて珍しく,文献上「奥の細道」と「累ヶ淵」でしか確認できないもようである(ちなみに,同じように怪談の主人公である「岩」や「菊」という名は多数実在する。)。極めて稀な「かさね」という名前が,一方では現在においてもなお広く知られる「奥の細道」に登場し,他方では,現在はそれ自体はあまり知られていないとはいえ,江戸の三大怪談のひとつ「累ヶ淵」の種本となった「死霊解脱物語聞書」に登場している。偶然にしては出来過ぎの感が否めない。同一人物ではないにしても,同じ名前であることには何らかの関連性があるのではないかという思いを否定しきれないのである。

これについては,「累ヶ淵」の「累」の読みは本当は「るい」ではないかという意見もある。すなわち,怪談の主題が,同じことが時間をおいて繰り返されること,つまり"かさねる"ことにあることから,本来は「るい」と読まれていたのが次第に「かさね」と読まれるようになっていったという考え方である。

傾聴に値する意見ではあるが,しかし,「死霊解脱物語聞書」の絵本において,「かさね」という字が見て取れるものがある。

http://koneeta.hp.infoseek.co.jp/kaizu/03a.jpg

↑では,やや分かりにくいが,崩し文字で「かさねかおんりやう」という字が確認できる(「累が怨霊」,つまり累の怨霊という意味か)。この絵本は1712年刊とのことであるが,そうだとすると羽生村事件からまだ40年ほどであり,十代で事件を目撃した人物が六十代くらいで生きていてもおかしくないくらいの時期であることからすれば,やはり「かさね」が正しい読みだとみて良かろう。

「累ヶ淵」の「累」と「奥の細道」の「かさね」は同一人物ではないけれども,何らかの関係性を有するとした場合,具体的にはどんなケースが想定できるであろうか。

ひとつ考えられるのは,那須・黒羽の「かさね」の親が「死霊解脱物語聞書」を読んでおり,それにちなんで自分の娘に「かさね」と名付けた場合である。もしこんなことがあったとしたら,まるで江戸時代版の悪魔ちゃん事件だという感もあるが,前回に紹介した私の友人のケースもあるので,絶対ないともいえない(もっとも,私の友人の場合は「累ヶ淵」にちなんだわけではないが)。

そこで今度は「累ヶ淵」の「累」が「奥の細道」の「かさね」の命名に影響を与えた可能性について検討してみることとしよう。

(以下続く)

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2006年3月12日 (日)

芭蕉とかさね

以前,友人夫婦に女の子が生まれたときに,友人(夫の方)が「風音」(かざね)という名前を付けようとして,奥さんだけではなく双方の両親や友人たちからも大反対を受けて断念したことがある。

周囲の皆さんが反対したのは,その名前が怪談「累ヶ淵」の主人公である「累」に繋がるからなわけである。それゃ反対するわな(もっとも,怪談の主人公と読みが同じ名前なら一切駄目なのかというと,なかなか難しいところである。たとえば「貞子」だったらどうだろう?)。

「累ヶ淵」の簡単なストーリーは↓を参照にされたし。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/42318_19228.html

ところで,この「累ヶ淵」は完全なフィクションではなく,1672年に下総国・岡田郡羽生村で起こった事件がベースになっているとされる。

http://www.city.mitsukaido.ibaraki.jp/sights/history/015.htm

http://meguroku-net.com/meisyo/yuutenji/yuutenji-4.htm

なお,「フィクションではなく」というのは,累の亡霊が菊という娘に憑依したのが事実だということを意味するわけではない。客観的には,菊が自分が亡霊に憑依されたと主張し,かつ,憑依されているかのごとき言動を取ったというところまでが事実である。

さて,話は飛ぶが,このブログを読まれている数少ない皆さんは,松尾芭蕉の奥の細道をご存知だと思う。「奥の細道」の知名度は,おそらく怪談「累ヶ淵」などとは比較にならないくらい高いだろう。(江戸時代には,「累ヶ淵」の原話(「死霊解脱物語聞書」)の方がおそらく一般に広く知られていたという話もあるのだが。)

この「奥の細道」には,一緒に旅をした曾良の記述と合致しないところがあるとか,芭蕉は実は公儀隠密(幕府のスパイ)じゃないかとか,いろいろ謎めいた話があるのであるが,私的に非常に興味をひかれる箇所がある。

前振りが長かったが,ここでようやく本題に入る。芭蕉と曾良は,那須の黒羽というところで「かさね」という名前の小娘に出会っているのである。

http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno06.htm

http://133.67.9.141/study/public_html/study6.html

かさねとは八重撫子の名成べし 曾良

当時,女性の名前は音2文字(「きく」とか「いわ」とか)が普通であり,3文字は珍しい。しかも,文献上,「かさね」と読める名前は,この「奥の細道」の小娘と,怪談「累ヶ淵」の主人公しか確認されていないらしい。

以上から,次のような仮説が立てられる。もしや松尾芭蕉は後に「累ヶ淵」の主人公となる女性が小娘の時に出会い,その奇跡的に偶然な会合が「奥の細道」に残されたのではないかと・・・果たしてこの仮説は肯定できるであろうか?

(以下,後日につづく)

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「功名が辻」第10回「戦場に消えた夫」

「巧妙が辻」は今のところ自分が毎回見ている唯一のドラマ。最初は違和感が強かった横書きのオープニングも今回で11回目ということで大分なれた。ただ,舘ひろしが出演者のトリをつとめているのは納得できないと毎度毎度思ってしまう。せめて佐久間良子(「女太閤記」で主役。そういやそのときは今回家康をやってる西田敏行が秀吉だったな。)が出演する回には佐久間良子をラストにしてほしい。

一豊が小りんとの浮気を千代に告白する前回のラストシーンから引き続く今回は,怒る千代と謝る一豊のコメディタッチなシーンからスタート。千代が閉めた引戸に一豊が頭をぶつけるところなんざ,コメディを通り越してギャグ。いや,面白いのは個人的に好きなんだが,今年の大河はちとやり好きでないか?ほとんど毎回だし。

今回の合戦シーンは姉川の戦い。浮気に怒って不破家に戻ってしまった千代を迎えにいくためにも手柄をたてんと姉川に馬で突っ込む一豊だが,馬が鉄砲で撃たれてあえなく川に転落,行方不明に。

合戦が終わっても一豊は行方知れずのまま。組頭の秀吉は非常にも一豊の葬式を出すことを命じ,千代もこれを受けて自分は髪をおろすことを決意。

という展開なわけだが,あの川は馬の足の先くらいの深さしかなかったぞ?雑兵も普通に足先だけ水に浸かったまま渡っているし。運悪く川の深みに落ちてしまったんだろうか。

私は戦がにくい,と言う千代だが・・・うーん,やはり時代設定上,こんなセリフが出るのは苦しいという感じが強い。去年の「義経」も600年くらい早過ぎる人道主義者だったけど。

ラスト近くになっても一豊は姿を現さず,今週は行方不明のまま来週に続くのかと思いきや,最後の最後で一豊が槍を杖代わりにふらふらと登場。

来週は「仏法の敵」。比叡山焼き討ちの話ですな。一豊関係ではまた小りんネタが出てくるようだが・・・

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