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2006年3月13日 (月)

芭蕉とかさね(その2)

前回からのつづき

分かりやすくするために関連する出来事を時系列で示してみよう(★は芭蕉関係)。

 

1644年 ★松尾芭蕉 誕生

1647年 羽生村の百姓の女・累が婿の与右衛門に殺害される。目撃した村人がいたが,公にならず。

※その後,与右衛門は何度か後妻を迎えるが,次々と亡くなる。6 番目(?)の後妻は比較的元気で女の子を産み,菊と名付けられる。

1671年 菊の母親が病死。菊は数え年13歳で同村の男・金五郎と結婚

1672年 菊が累の霊に乗り移られる騒動発生(羽生村事件)。

1690年 羽生村事件を題材にした「死霊解脱物語聞書」刊行

1694年 ★松尾芭蕉 死去

1702年 ★「奥の細道」刊行

 

この時系列からすれば,少女時代の累に芭蕉が遭遇することはあり得ないことが分かる。むしろ,芭蕉の幼年時代に累の殺害事件が起きているのである。

それに,芭蕉が「かさね」という少女と出会ったのは,前回紹介したとおり,那須の黒羽であり,ここは下野の国であるのに対し,累が住んでいた羽生村は下総の国であり,地理的にも結構離れている(今で言えば,前者は栃木県大田原市,後者は茨城県水海道市)。

よって,「奥の細道」に登場する少女「かさね」と,怪談・累ヶ淵の「累」は同名の別人物というのが論理的帰結ということになろう。

だが,私としては,一点,どうしても引っかかるところがある。それは「かさね」という名前そのものについてである。

前回も触れたとおり,「かさね」という名前は極めて珍しく,文献上「奥の細道」と「累ヶ淵」でしか確認できないもようである(ちなみに,同じように怪談の主人公である「岩」や「菊」という名は多数実在する。)。極めて稀な「かさね」という名前が,一方では現在においてもなお広く知られる「奥の細道」に登場し,他方では,現在はそれ自体はあまり知られていないとはいえ,江戸の三大怪談のひとつ「累ヶ淵」の種本となった「死霊解脱物語聞書」に登場している。偶然にしては出来過ぎの感が否めない。同一人物ではないにしても,同じ名前であることには何らかの関連性があるのではないかという思いを否定しきれないのである。

これについては,「累ヶ淵」の「累」の読みは本当は「るい」ではないかという意見もある。すなわち,怪談の主題が,同じことが時間をおいて繰り返されること,つまり"かさねる"ことにあることから,本来は「るい」と読まれていたのが次第に「かさね」と読まれるようになっていったという考え方である。

傾聴に値する意見ではあるが,しかし,「死霊解脱物語聞書」の絵本において,「かさね」という字が見て取れるものがある。

http://koneeta.hp.infoseek.co.jp/kaizu/03a.jpg

↑では,やや分かりにくいが,崩し文字で「かさねかおんりやう」という字が確認できる(「累が怨霊」,つまり累の怨霊という意味か)。この絵本は1712年刊とのことであるが,そうだとすると羽生村事件からまだ40年ほどであり,十代で事件を目撃した人物が六十代くらいで生きていてもおかしくないくらいの時期であることからすれば,やはり「かさね」が正しい読みだとみて良かろう。

「累ヶ淵」の「累」と「奥の細道」の「かさね」は同一人物ではないけれども,何らかの関係性を有するとした場合,具体的にはどんなケースが想定できるであろうか。

ひとつ考えられるのは,那須・黒羽の「かさね」の親が「死霊解脱物語聞書」を読んでおり,それにちなんで自分の娘に「かさね」と名付けた場合である。もしこんなことがあったとしたら,まるで江戸時代版の悪魔ちゃん事件だという感もあるが,前回に紹介した私の友人のケースもあるので,絶対ないともいえない(もっとも,私の友人の場合は「累ヶ淵」にちなんだわけではないが)。

そこで今度は「累ヶ淵」の「累」が「奥の細道」の「かさね」の命名に影響を与えた可能性について検討してみることとしよう。

(以下続く)

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